盛田昭夫
盛田昭夫
1921年1月26日 愛知県生まれ
井深大の盟友であり、もう一人のソニー創業者。
ソニーを設立後、半世紀で世界有数のエレクトロニクス企業に育てた戦後日本を代表する国際派経済人 。
常に視線を国際市場に向け、グローバル・ローカライゼーション のコンセプトを唱え、ソニーのみならず日本企業の国際化と現地化を提唱した。1998年には米タイム誌の「20世紀の20人」 に、日本人としてはただ1人選ばれた。
略歴
・1944年 大阪帝国大学理学部物理学科卒業。海軍技術中尉となる。
・1946年 東京・日本橋の白木屋デパート3階に東京通信工業を設立。
・1958年 社名をソニーと変更。翌年、副社長に就任。
・1960年 アメリカ販社を設立。翌年日本企業として初めて米で新株を発行
・1971年 社長就任
・1986年 最若手の経団連副会長に就任
・1992年 英国王室から名誉大英勲章を受ける
・1999年 他界 享年78歳
リーダーとしての大きな特徴
1.新たな価値を創造した「市場創造型スーパーセールス力」
「スーパーセールス」
盛田は敗戦からわずか10年後の1955年にトランジスタラジオを持って、米国に乗り込んでいった。現在、ソニーの海外比率は7割を超えている。盛田はその後、「SONY」ブランドを世界共通言語にまで仕立て上げた。
2.世界との橋渡し役を務めた「グローバル展開力」
「SONYらしさ」
盛田の真骨頂は、日本と世界の橋渡し役であった。日本にはグローバル・ローカライゼーションのコンセプトを唱え、欧米には製造業重視を訴え続けた。「盛田イズム」の存在が、ソニーらしさを内外に主張し、世界企業へと成長させていったといえる。
3.失敗を恐れず、ただひたすら挑戦し続けた「チャレンジ精神」
「ベータの失敗」
盛田の唯一の失敗がベータ・VHS戦争での敗北である。
そうした失敗を経てもなお、盛田らしさはここから光る。
「人間に誤算や失敗は防ぎようがない。失敗の原因を究明すれば全社員の教育になり、損失どころか財産になる」 。
ソニーの優れた商品を世界中の人に伝えてまわった、
「洗練されたグローバル・スーパーセールスマン」
リーダーシップ・エピソード
1.SONY
1955年、盛田は世界進出を狙うのであれば、世界の誰にでも発音できる商標名を付けようと提案した。その結果生まれたのが’音’「SONIC」の語源であるラテン語の「SONUS」と、小さい坊やを意味する「SONNY」の合成語である「SONY」であった。
2.50年後
1955年、米国進出の必要性を感じていた盛田はブローバという時計メーカーからトランジスタラジオ10万台の注文を受けた。ただし、ブランド名をSONYではなくブローバとするというのが条件だった。当時の10万台の受注はソニーにとって魅力的だったが、盛田はこの注文を断った。ブローバ側の「50年かかって私たちは今のブローバのブランドを作り上げた。あなた達の会社など世界の誰も知らない」という主張に対し、盛田は「50年後には、絶対にあなたの会社よりも有名になってみせます」と切り返した。
3.井深大と盛田昭夫
「ソニーは井深さんの夢を実現する会社」 盛田は20人余りで始めた町工場の時代から、世界的企業に成長した晩年に至るまでこの思いを一貫してきた。病床に臥していた盛田が井深の死を知ったとき、ワーッと大粒の涙を流したという。
北品川の町工場から世界のソニーへ。「ソニーらしさ」とは井深と盛田のDNAそのものである。
盛田昭夫の名言
私は市場に対応しない。
市場を創造するのだ 。
成功するかしないかは、
ただ、われわれの意志の強さと努力に かかっているのだ。
参考文献 参考URL
- 「MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略」 (著 盛田昭夫/朝日新聞社)
- 「大事なことはすべて盛田昭夫が教えてくれた 」(著 黒木 靖夫/ベストセラーズ)
- 「盛田昭夫語録」 (著 盛田昭夫研究会/小学館)
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