井深大
井深大
1908年4月11日栃木県生まれ
ソニー(株)創業者。まぎれもない日本のビジネスヒーロー。
中学生の頃、短波帯の受信や無線に関心を持ち、
早稲田大学在学中に数々の発明を残す。
昭和20年東京通信研究所を設立。
その後、戦時中に知り合った盛田昭夫と昭和21年ソニー(株)
の前身である東京通信工業(株)を設立。
その後トランジスタラジオを世におくるなど数々の偉業を果たす。
本田宗一郎と懇親が深かったことも有名。
略歴
・1933年 早稲田大学理工学部電気工学科卒業
・1936年 PCL(写真化学研究所)入社
・1945年 東京・日本橋白木屋(現・東急百貨店)店内に東京通信研究所設立。
・1955年 トランジスタラジオTR‐55型発売。自社製品にSONYのマークを使用。
・1958年 東京通信工業株式会社をソニー株式会社に社名変更。
・1959年 世界初のトランジスタテレビ・TV8‐301型発表(翌年 発売)。
・1971年 ソニー株式会社代表取締役会長に就任。
・1976年 ソニー株式会社取締役名誉会長に就任。
・1997年 他界 享年89歳。
リーダーとしての大きな特徴
1.失敗を恐れず、先駆者であり続けた「チャレンジ精神」
「トランジスタ」
「トランジスタをやろう!」 この決断がその後のソニーを革新した。
常々「日本初、世界初のものを創ってこそ、人より一歩先に進むことができる」 ということをモットーに掲げていた。
2.自由闊達な風土と愉快さを求めた「独自性と柔軟性」
「設立趣意書」
「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」
これはソニーの前身である東京通信工業の設立趣意書冒頭の文章である。
3.最高の技術の活用にこだわり続ける「市場創造力」
「心を満たす」
「人間の心を満足させることを考えていかないと、21世紀には通用しなくなることを覚えておいていただきたい。」井深は病床に臥す直前に、ソニーの幹部たちを前にこう告げた。
一生涯好奇心を失わず、モノと人間の可能性と未来を開拓し続けた、
「夢多きチャレンジャー」
リーダーシップ・エピソード
1.東通工
ソニーの前身である、東京通信工業は日本橋白木屋の一室から始まった。
井深、盛田、岩間、樋口の面々は会社を盛り上げなければという気持ちで昼夜を 問わず働いた。その分、夜が遅くなる。遅くまで仕事をしていると、白木屋の出口 という出口にみな鍵をかけられてしまうため、仕方なく非常階段から下りると、泥棒と間違えられて警察官につかまって絞られる者も出たという。
2.すぎな会、ソニー太陽
井深には知的障害を持つ娘がいた。「多恵子は私の生涯の十字架であると同時 に、私の生涯の光である」と語っている。こうした境遇は井深の幼児教育への関 わりを加速させていった。そして障害者自立のためのコロニーをつくりたいと考え、「すぎな会」を結成、その後栃木県に「希望の家」を設立した。同じ頃、ソニーは大分県に「ソニー太陽」を設立し、障害者の自立を支援している。
3.幼児教育
井深は、幼児教育の研究と啓蒙活動を進めた。1969年には、財団法人幼児開発研究会(現・ソニー教育財団幼児開発センター)を設立し、自らその理事長に就任した。同協会では、機関誌「幼児開発」を発刊する一方、幼児教室や母親研究会を開催した。井深は、幼児教育、ついには胎内教育まで辿りつき、そうした研究・実践を通じてこれまでの常識の誤りを痛感し、なによりもまず第一に育まなければならないのは人間の「心」であると思い定めた。
井深大の名言
あらゆるいばらの道を切り開き、誰も手がけない新しい創造と取り組め。
心を満足させることで科学の存在価値がある。
参考文献 参考URL
- 「ソニーを創った男 井深大」(著 小林俊一/ワック)
- 「井深大とソニースピリッツ 」 (著 立石 泰則/日本経済新聞社)
- 「幼稚園では遅すぎる」 (著 井深大/ゴマブックス)
ご意見・ご質問等ございましたら、こちらまでお気軽にお問い合わせください。