リーダー列伝

松下幸之助

松下幸之助

1894年11月27日 和歌山県生まれ
松下電器産業(株)創業者
「経営の神様」と称される稀代の人物。
その情熱と使命から生まれる思想は、経営のみならず広く社会に浸透し、今もなお多くの人により受け継がれ、支持されている。「経営」という役割の持つ価値を日本に定着させ、戦後日本の産業発展、社会文化革新に多大なる功績を残した人物である。

略歴

・小学校を4年で退学し奉公に出る
・1910年 大阪電灯(株)に見習工として入社
・1917年 二又ソケットを考案、翌年に独立し、松下電気器具製作所を設立
・1935年 これまでの個人経営から株式会社へ、松下電器産業(株)設立
・1946年 PHP研究所を創設し、PHPの研究と普及活動を開始
・1960年 経営方針発表会で、日本初の「週5日制の5年後の導入」を発表
・1980年 松下政経塾を開塾
・1989年 他界 享年94歳

リーダーとしての大きな特徴

1.「国家観・産業観」を使命感へ昇華させた「ミッションパワー」

「見えざる契約」 ~「我々は世の中に奉仕するという崇高な義務に基づいて
仕事をやっている。名誉とか成功とか、そういういわば私的な欲望から発しているものでは断じてない。これは、大衆と我々との見えざる契約である」

2.発明に完璧を求め、生涯を捧げた「初志貫徹力」

「先優後楽」 ~「経営者たるものは人ともに憂い、楽しむのではなく、人よりも先に憂い、人よりも後に楽しむという志が必要」とした「先憂後楽」の精神が、先見性を生み、会社と社員を正しい方向に導くことを可能にした  

3.国益を優先し、発明はそのための手段とした「社会的使命感」

「現場指導」 ~「なんでや?」「君んとこどうや?」「理由は何や?」
社員に対して常に問いかけを繰り返した。
こうした現場指導は社員の思考や行動を深みのあるものに変え、自立とさらなる進化を促した

経営を通じて、社会と人間の成長に貢献した、
「経営という枠を超えた伝道者」

リーダーシップ・エピソード

1.丁稚奉公時代 ~道すがらの話~

松下幸之助は幼少時代に自転車屋に丁稚奉公していた。その店主の兄に五衛兵さんという盲目の方がいた。17歳で盲目になった彼は兄弟を養うために修行 なく、按摩に突然なった。彼はマッサージを通じて、お客から色々な話を聞いた。 「景気がいい、景気が悪い、今度家を売りたい、家を買いたい、家を貸したい、家 を借りたい、・・・・。」 五衛兵さんはその後、聾唖者、盲目者のために大阪盲唖学 院という盲唖学校を設立した。この五兵衛さんは、幸之助が丁稚をしているこの 自転車屋さんに時々遊びにきていて、帰りは、幸之助が五兵衛さんを家まで送り 届けていた。その道すがらこうした話を聞いて幸之助は育った。

2.PHP運動

PHP運動(PHP=ピース・アンド・ハッピネス・スルー・プロスペリティ)というもの を1946年に開始した。これは「混沌とした世相をなんとか根本的に直したい。人 間性に立脚した、素直な正しいものの見方で、社会の諸制度の本来のあり方を 考え、ともに繁栄の道を歩みたい」という幸之助の念願により手掛けられた。

3.経営は芸術(アート)だ!

松下幸之助は、「経営とは芸術(アート)である。経営者は経営という作品を 創造する芸術家である」と語っている。経営の力を信じ、経営に価値を与え、 経営の最終目的は社会的使命の達成である、と位置づけた。こうした考えが、 松下幸之助を「経営の神様」へと昇華させた。

松下幸之助の名言

成功の要諦は、 成功するまで続けることである。

松下電器は、冷蔵庫やTVをつくっている 会社ではないです。
『人』をつくっている会社です!

参考文献 参考URL

  1. 「道をひらく」 (著 松下 幸之助/PHP研究所)
  2. 「成功の法則 松下幸之助はなぜ成功したのか 」 (著 江口克彦/PHP研究所)

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