小林 一三
小林 一三
1873年1月3日 山梨県生まれ
慶応義塾卒業後、三井銀行入行を経て、渋沢栄一らの影響で
実業界に転進。甲州財閥の小野金六、根津嘉一郎らと鉄道経営。
阪急電鉄を入手後、住宅建設、デパート経営、
プロ野球球団創設、宝塚歌劇団設立など、大衆消費社会に
いち早く眼をつけた経営手腕で実業界をリードした。
戦中と戦後、国務大臣も歴任した。
略歴
・1892年 慶應義塾大学卒業、翌年に三井銀行入行
・1910年 箕面動物園を開業、翌年に宝塚新温泉を開業
・1913年 宝塚唱歌隊を結成
・1925年 日本初のターミナルデパートとなる阪急マーケットを開業
・1927年 阪急電鉄取締役社長に就任
・1936年 阪急職業野球団を結成。阪急電鉄会長を辞任
・1937年 東宝映画(株)設立
・1957年 他界 享年84歳
リーダーとしての大きな特徴
1.夢のライフスタイルを思い描いた「ビジョン構想力」
「沿線文化」
「夢のライフスタイルをつくりあげる!」 一三は鉄道の沿線に次々と住宅を建てていった。そして居住するお客様の利便性を考え、次に自分は何をすべきか、と考えた。そしてターミナルデパートを築き上げ、レストランでライスカレーをふるまった。
2.数多くの大衆向けサービス事業を実現した「事業創造力」
「宝塚歌劇」
一三は浪速座で歌劇を観たとき、1,2階の観客を含めて、 大人たちがゲラゲラ笑っている場面に対して、学生の集団だけが笑うどころか礼讃とあこがれのまなざしで熱心に聴き入っていた姿を目撃したとき、これからの若者は「歌劇」に通じる何か
を感じている、ということを瞬時に察知した。
3.娯楽は明日への活力を生むと考え生涯を賭けた「社会的使命感」
「大衆にこだわる」
「人間は一日の疲れを癒し、明日につなぐ娯楽や愉しみをもってこそ働く意欲も湧くというものだ。だから私は大衆にこだわる。私は大衆に喜んでもらえる仕事がしたい。」
生涯に渡り、常に大衆の喜びを意識し、事業を生み続けた、
「大衆社会のプロデューサー」
リーダーシップ・エピソード
1.東急・五島慶太との師弟関係
東急グループの創始者である五島慶太は一三を師匠として仰いだ。田園調布 等にみられる都市計や宅地事業は全て一三の知恵を借りて成功に導かれた ものといえる。一三の創造力と五島の行動力が田園調布という日本一の高級住 宅街を生み出し、首都の西南部に一大私鉄網の再編成を実現し、ターミナルデ パートを併せ持つ今日の東急グループの基礎を築いた。
2.自社ブランド
阪急デパートが「どこよりも良い品をどこよりも安く」というキャッチフレーズでPR したき周辺の小売店への大きな打撃となった。それを懸念に感じた一三は問 屋から仕入れた商品をただ販売するのではなく、デパート自体も独自の製品で 独自のサービスを提供すれば、中小零細小売店の 迷惑をかけることは避けられる、と考えた。こうして「自社ブランド」という概念が生まれた。
3.全国高校野球選手権大会
鉄道の集客を第一義として豊中にグラウンドをつくった一三だが、大衆にこだ わる精神が、全国大会の開催を思いつかせた。「この大会は青少年の育成の ために必ず喜ばれ、必要とされるときが来る!」彼はこうした思いから具体案を 作成すると、直ちに大阪の朝日新聞社に持ち込み実現させた。こうして、 今に残る全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで幕を切ったのである。
小林一三の名言
我々の受ける幸福はご乗客 の賜なり 私は大衆にこだわる。 私は大衆に喜んでもらえる仕事がしたい。 これは私の信念でもある。
参考文献 参考URL
- 「わが小林一三―清く正しく美しく 」 (著 阪田 寛夫/河出書房新社)
- 「小林一三 知恵は真剣勝負が生む―不滅の商才に今、学ぶべきこと」 (著 永川 幸樹/ベストセラーズ)
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