アンドリュー・カーネギー
アンドリュー・カーネギー
1835年、スコットランドの貧しい織物職人の子として生まれる。
その後、一家とともに渡米。木綿工場の糸巻き手、電信技手、ペンシルヴァニア鉄道監督などを経て、製鉄業に進出、鉄鋼王にまでのし上がった典型的なアメリカン・ヒーロー。しかし、すぐに実業界から退き、教育施設や平和機関の設立など福祉事業に持てる資産を投じ、慈善事業家として第二の人生を送った。1919年没。
略歴
1835年 スコットランド生まれ。
1848年 現在のアメリカピッツバーグへと移住。
1848‐1865年 木綿工場、電信技手、ペンシルバニア鉄道監督などを経験。
1865年 キーストン鉄橋会社(英語版)(1865年)とユニオン製鉄所を創業。
1889年 アメリカの鋼生産量がイギリスを抜く。その大部分をカーネギーが所有。
1892年 カーネギー鉄鋼会社を創業。
1901年 実業界を引退。その後は慈善活動家として活躍。
リーダーとしての大きな特徴
1.目の前のことに愚直に取り組む勤勉家
「絶対、我が家から貧困を追い出してやる」
貧しいながらも家族環境には恵まれていたカーネギー氏。彼の最初の週給は、1ドル20セント。
偉人の大部分が貧困のもとに生まれている、と謳うように、貧困が自助努力型の人間を
作り出すと信じている。カーネギー氏自身、家族を思い貧困脱却のために日々努力した結果が
彼の後年の実績に結び付いている。
2.直観に従って巧みにチャンスをつかむ力
「正直な橋」
南北戦争時代、ペンシルバニア鉄道会社の主任だったカーネギー氏は木造の橋が焼けて、
線路が不通になっているのをチャンスとみて、鉄橋を作る会社(キーストン会社)を作ることを
決める。当時、橋梁に従事していた会社はほとんどが失敗していた。しかし、キーストンは、
力量の足りないものや、科学的に承認できないデザインの橋のみ作り、それ以外は断るという
方針を徹底していた。巧みに、顧客に正直であり続け、結果的に成功した。
3.宗教家であり、運命論者
「富は神より委託されたもの」
実業家としての成功には自助努力が欠かせないと謳う一方で、常に周りへの感謝を
忘れない。成功や富は、神そして自分を取り巻く周りの人々によって、もたらされたものであり、
だからこそ、社会のために活用すべき、という信念を持ち続けた。
自助努力で貧困から見事に脱却し、莫大な資産を社会に投資
「慈悲の心と厳しさを併せ持つ鉄鋼王」
リーダーシップ・エピソード
1.貧困脱却からのアメリカンドリーム
スコットランドからの移民の子が週休1ドル20セントから、最終的には鉄鋼王へ。
人生の転機となる場面では、必ず誰かが手助けをしたり、何か周りからのチャンスが
もたらされている。チャンスをものにするのも、自助努力によるもの、という名言を残しているが、
移民の子が成功したということで、アメリカンドリームの体現者とも言われている。
2.鉄鋼生産や鉄道建設でアメリカの工業化を促進
イギリス出張時に、世界初の安価な製法であるベッセマー製鋼法に遭遇。衝撃を受けた
カーネギー氏は、アメリカに戻り初の高炉を建設。ベッセマー製鋼法の実用化に取りかかる。
その後もニューヨークに場所を移し、製鋼法に関する研究を続ける。
その後、ばらばらだった製作所や会社を一つの会社にまとめる。カーネギー製鉄会社に発展し、
その株式時価総額は2500万ドルにまで上昇。その後、カーネギー氏の汚点ともなる
ホームステッド製鉄所のストライキを経験するが、その後も会社は成長。株式時価総額が
14億ドルに達する世界最大の製鉄会社USスチールが誕生し、アメリカの工業化を促進させた。
3.富の福音、そして慈善活動
「格差がなければ、人間の生活は進歩しない」。格差のない世の中よりも、格差がある世の中のほうが恩恵がある。なぜなら、富める者がその財産を貧しい者のために適切に活用して、社会慈善事業を行うことができるからである。富める者は、財産管理を子孫に委ねるべきでなく、
生きているうちに財産を活用すべきである、という思想は、今の富豪家たちの思想にも大きく影響を与えている。実際、アンドリュー氏は多くの資産を学校建設や教会建設に費やしている。
アンドリュー・カーネギーの名言
チャンスに出会わない人間は、一人もいない。
それをチャンスにできなかっただけである。
よりよい成果が得られるのは、自分が一番好きな仕事をしているときだろうね。だから、人生の目標は、自分が好きなことを選ぶべきなんだ。
他人の利益を図らずして、自ら栄えることができない。
参考文献 参考URL
- 「カーネギー自伝」 アンドリュー・カーネギー 中公文庫
- 「富の福音」 アンドリュー・カーネギー きこ書房
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