小倉 昌男
小倉 昌男
1924年12月13日 東京都生まれ
大和運輸(現・ヤマト運輸)の創業者・小倉康臣の二男。
1948年に大和運輸入社し、1971年に社長に就任する。
宅急便を生み出して経営危機にあったヤマト運輸を立て直す。
1995年に会長を退任し、現在は私財を投じて設立したヤマト福祉財団の理事長として障害者福祉の世界で活躍している。
略歴
・1937年旧制東京高等学校尋常科入学。テニスに明け暮れる。
・1943年東京大学経済学部入学。
・1948年大和運輸に入社。同年、肺結核のため入院。
・1949年退院し、クリスチャンになる。1953年に復職する。
・1971年社長に就任
・1976年宅急便営業を開始
・1983年運輸省との対立を経て、Pサイズの取扱い開始
・1993年ヤマト福祉財団を設立、理事長となる
・1998年スワンベーカリー1号店オープン
・2005年他界 享年80歳
リーダーとしての大きな特徴
1.多くの人を魅了し、筋違いを許さない「本質思考力」
・「官僚と戦う男」
「おかしいと思ったことは決して放っておかない」
そうした純粋さはたとえ相手が官僚であっても悠然と立ち向かわせた。そうした世間擦れしていない
「おかしいものはおかしい」とする本質思考が多くの社員を魅了し、ヤマト運輸の「今」を開拓した
2.社会インフラを構築した「ビジョン構想力と市場創造力」
・「宅急便」
「宅急便を考えたとき、単なる一企業の事業ではなく社会的なインフラにもなるし、そうしたいと思っていた。思いあがったことだったかもしれないが、それは私の「志」だった。」 卓越したビジョン構想力が宅急便という発想を生み、窮地に立たされていた会社を救った。
3.社員に徹底して植えつけた「自主性と顧客サービス力」
・「全員経営」
「第一線の運転手が自主的に行動し、客の信頼を得なければ宅急便は成り立たない」 小倉は「全員経営」を強調した。
この発想が「セールスドライバー」という概念の誕生につながった。
純粋さを持ち、熱き志と根性を抱き、常に利用者の視点で考えた、
「町人気質溢れる経営者」
リーダーシップ・エピソード
1.スワンベーカリー
小倉は会社を離れたら、お世話になった社会への恩返しに福祉の仕事がしたいと思っていた。1993年に心身に障害のある人々の「自立」と「社会参加」を支援するためにヤマト福祉財団を設立。財団での取り組みがカタチになったのが1998年6月にオープンした「スワンベーカリー」だ。当初は銀座にオープンしたがその後フランチャイズ展開をしており、2001年に「スワンカフェ」もオープン。
2.神に生かされて自分がある
小倉は大和運輸に入社後すぐに、当時不治の病といわれた肺結核を患っている。そして病を患っている最中に失恋し、絶望の淵を経験した。その経験から、信仰の道に入ったクリスチャンでもある。常に「自分は神によって生かされている存在であり、やりがいのある仕事を与えられた」という思いを込めていた。
3.宅急便の誕生
宅急便誕生の第一のヒントは、「吉野家の牛丼」である。吉野家の大胆な「絞込み」という考え方が、「取り扱う荷物の絞込み」という発想につながった。第二のヒントが、千葉に住む甥に荷物を送るときだ。運送業の社長である自分に「送る手段」がない。「家庭の主婦は日頃不便な思いをしているに違いない」そうした利用者の視点が「家庭」というターゲットに気づかせた。そして第三のヒントが日本航空が売り出した「ジャルパック」だった。商品のパッケージ化という概念から「家庭から家庭へ荷物を運ぶサービスの商品化」につながり宅急便は誕生した。
小倉昌男の名言
需要とは「ある」ものではなく、「つくり出す」もの。
やれば分かる。やらなければ分からない。失敗したら「ごめんなさい」と謝ってやり直せばいい。
参考文献 参考URL
- 「経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男」(著 小倉昌男/日本経済新聞社)
- 「小倉昌男 経営学」(著 小倉昌男/日経BP社)
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